職歴なし還暦ニートは不幸なのか? -序-

はじめに

前回記事にした「還暦ニート」が果たして不幸だったのか?
と、私は定期的に考えてしまうので、今回は「幸福論」的な内容です。


前置きの部分だけで話が終わったので「序」として記事を分けました。


自分とは?

有意義な人生とは、何だろうか?と考える時、頭の中で、さまざまな意見が飛び交います。


ちなみに、私は、自分の中に、
「善い自分」「未熟な自分」がおり、折り合いがつかないことがあります。
時々、分裂した自分が会議をし始めるような感じです。


一霊四魂

神道には、以下のように、人間が四つの魂と一つの霊で成り立つ
という考えがあり、私は、自分自身の実感として妙に納得しています。


一霊四魂 - Wikipedia


荒魂・・・行動的。外向的な人は荒魂が強い。


和魂・・・平和や調和を望み親和力が強い。


幸魂・・・人を愛し育てる力。


奇魂・・・理を求めて探究する。


※補足※
アインシュタインなど研究者、哲学者全般は、「奇魂」が進化しており、
スティーブ・ジョブズなどの起業家は、「荒魂」「奇魂」の両方が進化しているのだろうと予測されます。


中央の直霊が内省によって、この4つの魂を成長させていくような感じです。


余談ですが、シュタイナーにも、高次の自分と低次の自分が重なり合っている
という考えがありました。


四つの魂のレベル(成長度)が違うのだろうと思われるのです。

人の相性

人との相性で、表に出てくる人格が切り替わるのを私は、感じます。


(これを心理学でペルソナと言いますね)


例えば、私は、家族と縁が薄いのですが、家族と接する時は、
未発達な自分が表に出てきて、別の自分が呆れているという感覚があります。


相性の良い人とは、面白いように言葉がぽんぽん出てきて、
自分でも好きになってしまうくらい、良い自分が出てくることもあります。


相性の悪い人とは、言葉が全く出てこなくなることがあり、しどろもどろで
グダグダな自分が出てくることがありました。もちろん、自己嫌悪です。


二面性のある人や、内弁慶な人などは、明白ですが、そうでない人も皆
相手によって、表に出てくる人格(ペルソナ)がスイッチングされているのだろうと思われるのです。
※ペルソナと上記の一霊四魂は、おそらく異なる概念です。
ペルソナは、会社にいるときの猫をかぶった自分、仲の良い人の前のフレンドリーな自分、一人でいるときの内向的な自分のような、あくまで社会に接するときの咄嗟にかぶる仮面のようなものだと私は解釈しています。そして、人は仮面を何重にもかぶっているというイメージ。


そして、悪い面が出てきてしまう相手と一緒にいると、消耗するだけなので、
離れるのが吉なのだろうと思います。


有意義な人生とは?

「一霊四魂」をベースに考えを巡らすと、
どの魂が優位かで、同じ経験をしたとしても、満足感や充実感が異なるだろうということが予想されます。


また、話がそれますが、エニアグラムというもあり、人は九種類に分類されるというものもあります。(エニアグラムは、一霊四魂の強弱の組み合わせにより種類に増えているだけだろうと思われ、同じことを言ってるように感じます。ペルソナとあわせて別記事にしたいと思います)


つまり、ひとそれぞれ、同じ経験をしても、「快」「不快」「満足」「不満足」
が変わってくるだろう。ということです。


例えば、
荒魂・・・行動的。外向的な人は荒魂が強い人たちは、
冒険をすることで、強い満足感、幸福感を得られると思います。
冒険家の名言13人26選【人生の冒険へ】 


「ひろゆき」さん動画を見ていた時に「エベレスト」という映画の感想として、
「山に登る人」は「おかしい」「やばい」とおっしゃっていましたが、
「山に登る人」と「ひろゆき」さんとは、魂の種類が違うということが言えると思います。


幸魂・・・人を愛し育てることに力を注ぎたい人は、
家庭を大切にすることが、幸福感につながるのだろうと思います。


奇魂・・・理を求めて探究することが発達している人は
物事を理解できた時や、新しい発見をした時に、幸福感を感じるのだろうと思います。


和魂・・・平和や調和を望む人


和魂」に関して、私には、印象に残っているテレビ番組の場面があります。


それは、僧侶がお堂の中で、たった一人で、四六時中、
作法にのっとって、立ったり座ったりを繰り返し、
祈りを捧げつづけるという修行なのですが、
この修行は、次の挑戦者が現れるまで延々と続けなくてはならず、
26年間続けて、ようやく、修行が終わったというものでした。

※調べ直していないので、記憶ベースです。一部誤りがあるかもしれません。


結局、「幸せの形はひとそれぞれ」なので、お互いに批判し合わないことが大切だと思いました。


そして、「還暦ニート」に話を戻します。


お坊さんは、爽快感、開放感、充実感など、そういったものを手に入れたのでしょうか。
修行の終了に伴い、安堵というか安らかな雰囲気が醸し出されていました。
(という風に私は感じました)


「還暦ニート」の方は、映画や音楽やゲーム、両親との団欒があった分
お坊さんよりも、一般的な幸福な状態だったと思われます。
お坊さんは、ひとりぼっちで何もない狭いお堂の中で30年近く過ごしていたわけですから。


でも、「還暦ニート」が涙が止まらないのです。なぜなのでしょうか?


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