悩みとシンクロニシティ

孔子の「不惑」

私は「不惑」の年を過ぎました。


孔子は
「三十にして立つ」
「四十にして惑わず」
「五十にして天命を知る」


と言いました。その「不惑」です。


しかし、40過ぎた未だににどう進めば良いか悩みます。


「不惑」過ぎのわたくしのお悩み

・奈良で暮らしはじめようか、東京で暮らそうか
 →仏像彫刻を習う、犬を飼う、猫は諦める


・ブログ小説を始めること
 →いつから?仕事しながらではなかなか進まない。どうしようか。


・時間の有効活用
 →残り時間が少なくなってきた。
  →何の勉強をする?何の本を読む?
 →健康維持を効率よく行うには?
   →運動、食事、鍼灸、サプリ、ヨガ、山歩き、合気道??
 →コミュニティはどう広げる?


書き出してみると、些細な悩みに思えますね。
確かに40過ぎると、10代、20代、30代の究極の二択(或いは三択)のような深刻な悩みが
一掃されるから、悩みようがないのかもしれませんね。


こう考えると、人間として成長したから「不惑」なのではなく
物理的に選択肢がなくなったから「不惑」であるという意味合いもあるのかもしれません。


私の悩みについては、頭のメモリの一部を使って、地味に解決に向けてシャカシャカ
動いているので、しばらくぼーっとすることにしてみます。
1日に30分など時間を決めて悩むとよいらしいです。
(そうすることで、脳のメモリを無駄遣いしない。※岡田斗司夫さん談)


ちなみに今年、私は四柱推命で言うところの「空殺」
※新興占いで言うところの天中殺(大殺界 ※こちらが有名)・・・


なので、あと数ヶ月やっぱりぼーっとしようと思います。


もしかしたら、迷っているようで、実は心の中で答えは出ているのかも・・・


悩みとシンクロニシティ

人生の岐路で、時々、自分の潜在意識か守護霊なのかよくわからない味方が

人の口を借りて、道を示してくれることがあります。

①就職氷河期の父の言葉

私は、高校のころ理系クラスで数学が5科目の中で一番得意でしたが、
諸事情により大学は文系に進みました。
就職活動も事務や営業などの文系の仕事に応募していました。


当時就職氷河期で、同じゼミ生もいつまで経っても就職が決まりません。


私も、10人程度募集しているだけの規模の小さい地元の企業へ足を伸ばして
説明会に参加したりしていました。
そんな地元の中小企業の複数回予定されて説明会には、
体育館のようなホールに500人近い学生が集まっていました。


小規模でほとんど知名度のない企業でさえ
100倍くらいの倍率を勝ち残らなければならないようでした。


しかも、私は、当時失語症でした。友人限定で普通に会話していましたが、
人前でしゃべる場面、大人と社交辞令の会話をするなどが一切NGになっていました。
「場面緘黙」という症状かもしれません。診察を受けたことはありません。
場面により、喉に石が詰まったように、言葉が出て来なくなりました。


面接で「自己紹介してください」と言われ、
自分の名前も言えず絶望しました。


私は、「これは就職できないな」と諦めてかけていました。
就職氷河期に加えて、失語症です。


絶体絶命のピンチでした。


就職活動を初めて1ヶ月ほど経った大学四年生の4月頃のことでした。
朝、私はバイトへ行くため朝早く起きていました。
その日は、珍しく、父と会話しました。
就職がなかなか決まらなくて困っていることを伝えたと思います。


すると父は


「数学が得意やねんから、コンピュータ系の仕事すればいいやん」


そう言いました。


私は、文系の学部だったので、コンピュータ系の仕事に
就けるなんて思いもしていませんでした。
早速、大学の就職課で求人を調べてみました。


なんと募集がありました。学部不問、経験、知識不問でした。
ご丁寧に「文系学部歓迎」の文言まであります・・・


私は、中規模のIT系の企業を5社くらいピックアップして応募しました。
筆記試験は、どの会社も中学の数学のような問題で、スラスラと解けました。
即時面接がありました。よく喋る社長で、一方的に色々聞かれた私は
自分の名前すら言うこともなく一度だけ質問に「はい」と答えただけで
面接は終わりました。
社長の手元に履歴書があるので、いちいち名前を聞く必要もなかったのです。


直後に内定が来ました。
他に受けた会社の筆記試験も合格していて、面接の予約がありましたが、
その時点で、全て面接を辞退して、最初に内定が出たその会社への就職を決めました。


こうして、私の就職活動は終わり、
世界が急に明るくなったのを記憶しています。


私は、その社長への恩をいまだに感じています。
入社当初は、ノートパソコンの電源ボタンの場所すら分からなかったのですから・・・

②甥っ子の一言

今、私は奈良で暮らそうか悩んでいます。
すると、地図帳をみていた甥が
「ここから奈良まで何時間?」


と妹に尋ねました。私は、奈良に住むなんてことは一言も発言してはいなかったのです。


私は、この取ってつけたような会話が不思議で仕方ありませんでした。
なぜ、甥は、突拍子もなく、奈良をチョイスしたのでしょうか?


私の潜在意識が甥にそう言わせたと思えてしまうのです。


※2022年6月17日追記
今、奈良で暮らしています・・・


③犬の散歩

私は、長い間犬を飼いたいと思っていました。
しかし、実家は犬嫌いの家族がいるので飼えませんでした。
大阪住みの頃は、ペット不可のマンションだったので飼えませんでした。


でも、もう人生折り返しているのだから、したかったことはしてみようという気持ちが
強くなり「よし!犬を飼うぞ」
と思っても、旅行へ行くのが難しくなったり、
色々制約が出るので、踏ん切りがつきません。


すると、昨日、会社のチャットで、チームメンバーが会話していた時に、
「そろそろ犬の散歩へ行くので、今日は終わります」
というチャットが流れてきました。


「犬の散歩へ行くので、今日は終わります」
社会人になって初めて聞いたそのフレーズに、
犬を飼う方向へ後押しされた気分になりました。


※さらに、この記事を書いている時に、合間で英会話動画をみていたら
「犬の散歩へ行きます(I walk the dog.)」と流れてきました・・・
 

まとめ

スピリチュアル関連の情報で
仕事に悩んでいた時、たまたま見た求人広告がぴったりの仕事だった。天職だった。


悩んでいる時に、タイムリーな情報を会話していた人から教えてもらった。
しかも、教えた方は、なんでそんな話をしたか、自分でもよくわからない。


というような話を聞いたことがありませんか?


仏教の本に、菩薩様は姿形を変えて、助けてくださるということが書かれています。
道を示す時に、他人に入り込んで言葉をかけてくださっている
というのは、大いにあり得る話と私は思います。


先に述べた①就職活動時の父の言葉、以降も
悩んでいる時に道を示してくれるような言葉がいくつかありました。


体調を壊して仕事で大失敗した時、
システムエンジニアの仕事を続けるか続けないか悩んだ時。


友人から「たまにはそういうこともあるし、うまく行ったことのほうが多いんやろ?」
と言われました。言葉自体は普通のことかもしれませんが、
後で思い返した記憶の中の言葉に魂がこもっているような、金言のように輝いています。


当時、システムエンジニアの寿命は40歳までと言われることもありました。
私は30歳手前、だからこそ大いに悩む分岐点だったのです。


当事者じゃない今から言えることは、
自分は、システムエンジニア以外の仕事ができる気が全くしません。
学生時代10箇所くらいでアルバイトしましたが、どのアルバイトもミスをしまくって
どこでもポンコツ扱いでした。


システムエンジニアの仕事は、ミスがあってもトライアンドエラーで事前に解決できます。
システマチックにミスを防ぐ手段を講じることもできます。


人生を導くようなそんな言葉が、人生に必ずあると思うと、
人生自体に何か神秘的なものを感じて、やっぱり人生って面白いものかもしれない。


と思うのでした。必ず道はあると信じます。


<雲中供養菩薩様>

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