自分の息子を殺した老人の話
投稿内容を簡単にまとめました。
投稿者は、老人です。
20歳過ぎで見合い結婚をしたが離婚しました。
当時離婚というものは珍しく、どんなひどい夫に対しても妻は我慢するものでしたが、
それでも我慢できないほど酷い亭主だったのだろう
と投稿者は振り返ります。
それから、投稿者は40歳前まで再婚はしませんでした。
しかし、親戚に促されるまま当時10代の女性と再婚することになり一人息子を授かります。
妻は、体を壊して息子が10歳くらいの頃、他界してしまいました。
投稿者にとって、息子は不要なものでしかなかったので、全寮制の学校へ通わせることにしました。
ところが、息子が問題行動を起こるようになり、
学校から度々連絡が来るので嫌になり、
「そっちに任せますのでなんとかして下さい」
と学校に責任を押し付けます。
「私は息子の面倒を見たくはありませんでした。私にとって息子は害でした。
自分勝手で言う事を聞かず、迷惑な存在です。
息子は私を試していた感があります。
わざと何か問題ごとを起こしていたように思えます。
私の妻は息子を愛していました。妻が死んだ後、父親は自分を愛してくれているのか、その確認作業の時期だったのだと今になって思います。
ですがはっきりと、私は息子を愛してはいませんでした。
それを探っていた息子もようやく諦め二人の間は冷たいものになりました。
しかし逆に私にはそっちの方が都合よく、
おそらく息子もそうなのだろう、そう思って意味の無い日々を過ごしました。
ある日息子は私に言いました。
『いつも自信があるように見えますね』と
息子に話しかけられること自体久しぶりでした。
しかも誉めているように聞こえました。これには驚きました。
わたしは何を言っていいのか分らず、いいから自分の勉強をしなさいと言いました。
その日の晩息子は首を吊りました。」
私は、先日紹介した、太宰治「トカトントン」を思い出しました。
自分が時代や国家や常識に染まって、戦時中の熱狂や情熱や恋愛の歓びなどの只中にいるのに「トカトントン」という音を聞くと、自分の脳の中で熱狂や情熱や歓びが充満していた容器が壊れてしまって、熱狂や情熱や歓びが流れて消えてしまい我にかえる
という内容の小説です。
この自殺してしまった息子も、「トカトントン」を聞いて、「親の愛の渇望」という容器を壊せたらよかったのにと思いました。
その容器が壊れた時、きっと我に返って、
「なぜ、こんなクソ親父の愛なんかがほしかったのだろうか?」
とそれこそ「文化の果ての大笑い」でもすればよかったのに、と悲しくなりました。
その息子だけでなく、
私自身、器の中に、時代や常識、遠ざけるべき人の嫌な気で充満させて
勝手に苦しんでいることが多いのだなと、自戒しました。
<知恵袋>
・トカトントンで、自戒(自壊)しよう。