私の愛毒書 「走れトカトントン②」
第1章 富士山になりたかった男
いやしくも桃太郎は、日本一という旗を持っている男である。日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描写できるはずがない。
<「お伽草子」太宰治>
と、太宰治は「私の桃太郎物語」を書くことを放棄したそうです。
荻野アンナさんの「走れトカトントン」を引用します。
シンから桃太郎が、「日本一」がお好きなのだなあ。敢えて書かないと書く先生が健気で、お手を取って一緒に泣くたくなりました。男の子ですもの。誰だって日本一に憧れます。誰だって、負けたくなんてありません。先生も「負けたくないのである」(「懶惰の歌留多」)。でも、誰に?「どんな人にでも、負けてはならぬ」(「昔の盗賊」)
それでも、「私はいつでも口籠もり、ひどく誤解されて、たいてい負けて」(「鉄仮面」)、そんな「私は永遠に敗者なのかもしれない」(「服装に就いて」)。あーあ、「負けた。負けた。誰にも劣る」(「八十八夜」)。
ほんと、「女だって弱いけど、男は、もっと弱いの」ね(「火の鳥」)。これでは、弱さの日本一。日本一の桃太郎。
勝つと負けるは裏と面、ということは、先生は日本一の裏桃太郎であらせられるのだわ。
見事と思いませんか?
太宰治の作品から、引用を混ぜ合わせて、リレー形式作文をしています。この発想を、私は多読でないので知らないだけかもしれませんが、見たことはありません。
なんだか、大喜利っぽくもあり、新作落語っぽくも感じられて、ただただ私は、ため息が出るのです。
次章は「第2章 桃太郎かもしれない」で、<その3>に続きます。
ところで、ベースとなった太宰治の「トカトントン」という作品は、
自分が時代や国家や常識に染まって、戦時中の熱狂や情熱や恋愛の歓びなどの只中にいるのに「トカトントン」という音を聞くと、自分の脳の中で熱狂や情熱や歓びが充満していた容器が壊れてしまって、熱狂や情熱や歓びが流れて消えてしまい我にかえる
というとてつもなくシュールな話で、面白かったです。
太宰治は天才なのだとこの作品で改めて痛感しました。
私は、この本家太宰治の「トカトントン」について、別の角度から話したいことがあるので、また別で記事にします。