曼荼羅と道切りの民(後編)

はじめに

頭の整理がなかなかできなかったのと、
猫の手術の付き添いのため前回の記事から
時間がかかってしまいました。すみません。


前回の続きです。






八角形の頂点は「転」中央を「柱」と言う

八角形は「隔世」を表している

八角形がいくつも重なってこの世界が存在する


この世は「隔世」の影であり、真実と心理はそこにある

「柱」という映写機から壁に映像が映し出され

「転」という穴から映像が投影されている

それが「世」である

光源である「柱」も一つではない


「隔世」とは「あの世」とか「桃源郷」とも呼ばれ「この世」でもある

「隔世」ごとに「理」が異なっていて、時間の流れが違う


この世は「隔世」の影であり、真実と心理はそこにある


この世界とは

上の八角形の図を見てください。


八角形の中央が「柱」であり、映写機の役割を果たしている。

八角形の頂点が「転」であり、映像が投影されている。

私は、上記の八角形を見ていたら、
ふと、変なことを考えてしまいました。


以下は、私が今思っていることで確信がないので、エンターテイメントとして
読んでください。


<考察>
私たちが暮らす世界は、八角形を八等分した三角形の一つ
それぞれの三角形は別の世界、つまり異世界


三角形はそれぞれ隣の三角形と辺を共有している


その三角形の辺をを通り抜けたら、異世界へ通じてしまう


異世界へ通じる道は世界の至る所にあり、
昔は、しめ縄や神社などで結界を張って「道切り」をしていた


人間の目が張り巡らされている町や日常では
異世界の入り口がほぼ存在しないが、
人の目が届かない山などでは、今も異世界へ通じやすい(ような気がしています)


曼荼羅と道切りの八角形の類似点

胎蔵界曼荼羅は中央に「大日如来」がいて
周りに八の「菩薩」様や「如来」様たちが囲っています。


柱となる「大日如来」から八つの世界(隔世)に投影していると
捉えられませんか?


胎蔵界曼荼羅


金剛界曼荼羅も道切りの八角形との共通点を感じませんか?

金剛界曼荼羅


よーさんの予言との関連

以前、私は「よーさんの予言」で「世界は3つ」という記事を掲載しました。


二つはある人たちにより混ぜられ一つになっているが、それが元の二つに戻ろうとしてる


「よーさんの予言」では、「世界は3つ」なのだけれど、
現在は一つに混ぜられて、今二つに分かれようとしていて
さらに、それが三つになろうとしている


というような話でした。



<考察>

仮に、私達が暮らす世界を八角形のうちの三角形の一つとしますとします。
「よーさんの予言」世界は3つは
映写機から映し出される映像ととれませんか?
本来「転」は2つあるので、2つだったのが、一つに混ぜられているのは
同じ映像だからなのか、一つを止められているのか?そういったところ


世界が3つというのはから大日如来のパワーある世界(理想の世界)が
投影されているはずというふうに今回考察してみました。


転と柱から投影される世界がまだぼんやりしていますが、
なんとなくこんなイメージです。
この世界の投影する映写機が実質3つあるっていうことなのかな?
と仮説を立てているのですが・・・


転から映し出されるのは、かりそめ的な世界で
柱から映し出されている世界が本来の世界みたいな


引き続き、考察を続けていきます。

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