青い鳥(哲学編)

青い鳥というお話をご存知の方は多いと思います。


私も、最初に知ったのは、子供向けの絵本かアニメで知ったと思います。


この「青い鳥」の原作、哲学的な要素とスピリチュアル的な要素があります。


今回は、哲学編ということで、ご紹介します。


原作は、戯曲なので、
登場人物名   セリフ
の形式で話が進んでいきます


チルチル あの人たちのそばへよってもいいの?
    かまいませんとも。あの人たちは、育ちは悪いけれども悪い人間ではありませんからね。
ミチル  なんて綺麗なお菓子でしょう。


という感じ。
物語の中で、作者は時々、登場人物に言いたいことを言わせることがあります。


太り返った幸せの部分は、「虚栄に満ちた幸福」を皮肉っています。


太りかえった幸せ  わたしは「幸福」のなかでも一番ふとった「お金持ちである幸福」です。わたしはきょうだいたちを代表して、あなたとあなたの御家族を、わたしたちの終わりのない饗宴にご招待しようと思ってまいりました。あなたはこの世で本当の、「ふとりかえった幸福」の中でもことにすぐれたものたちと同席することになりましょう。失礼ですが、その中のおもだったものたちをご紹介いたしましょう。
これがわたしのむこの「地所持である幸福」です。ナシのようなおなかをしております。
これが「虚栄に満ちたりた幸福」で、このようにまるまるとふくれかえった顔をしております(「虚栄に満ち足りた幸福」はえらそうにうなずく)
それからこれは「かわかないのに飲む幸福」と「ひもじくないのに食べる幸福」で、ふたりとも足はマカロニなんです。
これは、「何も知らない幸福」で、カレイみたいにつんぼだし、これは「もののわからない幸福」でモグラみたいに盲なんです。
こちらは「なにもしない幸福」に、それから「眠りすぎる幸福」で、どちらも手はパン切れですし、目はモモの実のゼリーでできてるんです。そして、おしまいは「太った大笑い」で、口は耳まで裂けておりますし、これにかかっては、誰も笑い出さずにはいられないのです。


原作では、本当の幸福についても言及があります。
「母の愛」のようなものと言っていましたがあまり記憶には残っていません。
個人的には、上の太り返った幸せのセリフが一番面白かったです。


「太り返った幸せ」の部分を読んで、自分のことだと思う人は少なく描写を他人事のよう笑うと思うのですが、
よくよく読むと、部分的に自分も太り返った幸福の一員になっているかもしれません。
自分的には読んだ時に「痛快さ」を感じる反面
「眠りすぎる幸福」「もののわからない幸福」「なにもしない幸福」などは、身につまされるような気もするのです・・・
よくよく過去を振り返ると、自分にも他にも身に覚えが・・・


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