スピノザの石 -2-


前回の続きです。


ところで、私が、ブログを始めてから3ヶ月ほどですが、


パラレルワールドや世界線移動関連のYoutubeや2chの掲示板を読んで


それらの内容と過去に読んだ色々な本の内容が脳内でつながって、


どうしてもアウトプットしたくなったので、ブログを始めることにしました。


前回の記事で、真っ暗闇の庭で、猫に餌をやりつつ、ヨガポーズをとってみる
という謎行動の話をしました。


この話を聞いた人は、最近私が、世界線やパラレルワールド関連の情報を得て、「②意識的な行動」ということを実験的に実践しているのだろうと思ったかもしれません。


それは、その通りなのですが、実は、子供の頃からこの変な考えを遠回しに実践していました。


昔から、自分の見えている範囲しか世界が存在していないような気がする
と思ったことがあり、私は、この世界を作っている何者かに反抗して、不意打ちで、振り返ってちゃんと世界が存在しているか、公園のベンチの裏まで、きちんと世界が作られているかなど抜き打ちテストを実施していました。
(もちろん、真面目に実践していたのではなく、少しふざけていたとは思いますが・・・)


この「自分の見えている範囲しか世界が存在していない」という考えは、何人かに一人くらいの割合で生まれながら(本や口伝で知ったわけではなく)に考えたことがあるようです。


なぜそんなことを知っているかというと
山下和美の「不思議な少年」(4巻11話)にそんなことが描いてあったからです。
いがらしみきおの「ぼのぼの」にも描いてありました。
手元にないのですが、ぼのぼのも私と同じように自分がいないところは
真っ白な世界かも?と疑い、私と同じように抜き打ちテストをしていたような記憶もあります。


私が小学生の頃、そういう謎の抜き打ちチェックや、学校の帰りに寄り道をしたり、山に冒険に行ったり、新しい遊びを発明したり、リカちゃん自転車で山の斜面をアクロバティックに滑走してみたり、梯子を使わず自宅の2階から侵入したり、工事現場に秘密基地を作ったり・・・


私が前回記事にしたような、「②意識的な行動」を無意識的に取り続けていたのです。
しかも、一時期日曜学校(キリスト教)に通っていたのと、お釈迦様を信仰する私立の幼稚園に通っていたこともあって、寝る前には、お釈迦様とキリスト様に自分・友人・世界の幸福を祈ってから眠っていたのです。


すると、小学六年生の頃には、自分が理想とする小学生像に自分自身がなっていたのです。
多分、その当時存在し得る一番よい世界線を選んでいたのです。


しかし、中学に入ってから、DQN気味の友達が増えた影響で(当時の友よ、ごめんなさい)
怠惰になり、勉強を無理強いする塾に通ったり、唯物論を学んだせいで、神仏の類は一切信じなくなり、お祈りは当然しなくなって、中学3年生の秋ごろには本来の自分とはかけ離れて、バランスを崩し始めてしまったのです。
小学生時代は、きちんと部屋の片付けをして、机のほこりまで綺麗に拭いていましたが、中学時代は、部屋は散らかっていて、アリンコが置きっぱなしのお菓子を食べにやってくる有様でした。


当時の自分の世界線は、下降の一途をたどり、高校に入って最悪の現実に直面することになりました。


この続きはいつか記事にしたいと思います。

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