故郷喪失者と氏神様

故郷愛

生まれも育ちも関西ですが、私には、故郷愛がありません。


社会人になってから、九州へ転勤になって1年ほど過ごしました。
気の合う人が多く、仲の良い人がたくさんできました。
私は、九州に一生居たいと思いました。
仲の良い家族の幸福な気持ちがなんとなく分かりました。
愛情に溢れた幸福な家族の一員の気分の片鱗を感じることができました。
(もちろん、それは、錯覚や幻、妄想の類なのですが・・・)
それは、今まで味わったことのな安心感と幸福感でした。


当時、関西の友人達との絆が強く、仕事の切れ目で一旦、関西へ戻ることにしました。


関西へ戻ると、最高の友達と思っていた友達も輝きを失っていました。
しばらくしてから、揉め事が起きて関西の友人達への愛情も感じなくなり、
関東へ行きました。

おかえりモネ

朝ドラに「おかえりモネ」というドラマがありました。
気仙沼の地域愛溢れるドラマです。


実は、私は、この「地域愛(故郷愛)」が欠落した人間なので、共鳴することはなく、
途中で観るのをやめてしまいました。


私には、なぜ故郷愛がないのだろう。と昔から不思議でした。


故郷を失った人の苦しみを私は頭で想像することはできても、
感じることはできないのです。


故郷喪失者

ある時私は、シュタイナーの「故郷喪失者」という動画を発見しました。



故郷が発する特定の感情や感覚を受け取らない人間がいるというものでした。
その人独自の道を歩むため共同体から切り離されて生きる人間である。


というような内容でした。


もし、私と同じように、故郷への愛がなく、共同体から切り離された孤独を
持っている人は、動画を見てみてください。
少しは心の霧が晴れるかもしれません。


逆に、通常は故郷が発する特定の感情や感覚を受け取っているからこそ


だんじり祭り
阪神タイガース
など地域にまつわるあれこれに同一化して、喜びや悲しみを共有することができるのだな


と改めて思い知りました。

「ひろゆき」さん

「ひろゆき」さんの動画で、東北の復興に多額の税金を投入することは
無駄であるという趣旨を言っていたと記憶しています。(少し記憶が曖昧ですが)


わざわざ防災をしないで、安全なところへ、町一式作った方が断然低コストだからです。
「ひろゆき」さんらしい合理的な考え方だと思いました。


実は、私も同意見でした。津波が定期的に来るところになぜ再び町を作るのだろう。
なぜ、それほどまでの情熱を傾けるのだろう。


「ひろゆき」さんの考えは、合理的で税金を効率的に使うというような
面から考えると、正しそうに思います。


しかし、視点を変えて


「故郷愛」と共にその地域の集合体に属している人は
その地域への愛情を大切に、氏神様の御加護で地域の発展に寄与することで
結果として日本の発展につながるのではないか?

(言い換えると、日本全体の一部の欠落が日本全体としての弱体化につながる可能性がある)


という考え方もできるように思いました。


なので、「ひろゆき」さんの考えもある面から考えると正しいけれど
もしかしたら、もっと高次元の視点から見ると別の考えもできるかもしれない
と思いました。


シュタイナー的なもっと高次元の視点から考えた場合に、
地域霊、国霊のような世界があるかもしれず、
高次元から地域霊(氏神様)を通して人間に地域への愛情が降り注ぐ場合
高次元から降り注ぐ愛には素直に従うのが人間として自然なのかもしれません。


まとめ

以前「氏神様」の紹介をしました。
オリンピックと氏神様 - アルムシのブログ


シュタイナーの「故郷が発する特定の感情や感覚」は、
氏神様にも関わりがあるのだろうと思います。


氏神様は、地域を管理している神様です。
高次元から、私たちの住む物質世界を加護している存在です。


私は、「故郷喪失者」として、「地域愛」というものを感じないという視点から
逆に、「地域愛」という特殊な愛があるということを知っていると言っています。


分かりにくいと思うので、絵をかいてみました。
地域愛がない私は、逆に地域愛が分かると言っています。
地域愛の中にいる人たちは、当たり前なので、逆に分かりにくいと言いました。



そういう訳で、「地域愛」という謎存在の中に氏神様の存在を見たのというのが
今日の記事の趣旨です。


従って、「故郷愛」と共にその地域の集合体に属している人は
その地域への愛情を大切に、氏神様の御加護で地域の発展に寄与していただき
結果として日本の発展につながればよいと思いました。


<シュタイナー>

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