カラスの死骸はなぜ見つからないのか?


矢追純一氏の著書である。


「カラスの死骸を見たことがあるか?」と矢追純一氏は、読者に問いかける。
「確かに・・・」
私がこの本を読んだのは、学生の頃であった。
「町中でカラスは見かけ、かつ、カラスを捕食するような、動物は見当たらないのに、カラスの死骸はどこにも見当たらない。誰に聞いても、人生のうちで一度もみたことがないと言う人がほとんどである」
氏は続ける。
「カラスは死んだ後どうなるのか?それは、消えてしまうのである」
「ただし、交通事故や人間に飼われていたなど、人間を介した場合だけ、死骸として存在する」
矢追純一氏の主張は大筋、上記の内容と記憶している。
当時、この「人間を介した場合だけ」というのだけが、合点が行かなかったが、それ以外は概ねこの本に賛同していた。
そして、この本の話を、数年に渡って、複数の友人に熱弁したが、「はいはい」と流され私は変人扱いされて、だれもまともに取り合ってくれなかった。


しかし、それから時代は移り、量子力学についての知識を持つ人が増え、二重スリット実験も、「ひろゆき」動画で普通に説明されるほど、一般的にも浸透し始めた(?)
二重スリット実験は、人間が観察し認識することで、素粒子が物質化するという素粒子の不思議な振る舞い実証した実験である。量子力学の視点からも、カラスは寿命になると(カラスだけでなく、雀、鳩、ネズミなど全ての動物が該当)、人間の目を盗んで、消えてしまうことは矛盾がないのである。


つまり、矢追純一氏が言うように、「人間を介した場合だけ」野生動物は存在する。
さらに付け加えると、「観察者としての人間を介した場合のみ、世界は物質化する」と言えるのです。


これは、バーチャルリアリティのゲームを想像してもらうとわかるように、プレイヤーの周りの世界だけが画面に映っていると同じように、この世界は作られているとも言えるのです。テスラ・モーターズのイーロンマスクは、「この世界が仮想現実でない確率は十億分の一」と言っています。


あらゆる宗教、あらゆる天才が、この世界は「夢」だとか「幻」だとか「仮想現実」と結論付けます。


「カラスの死骸がなぜみつからないのか?」
この矢追純一氏の答えは、決して滑稽なんかではなく、核心を突いていると私は思うのです。


<オカルト>

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