聖なる予言(前編)
はじめに
今回ご紹介するのは
「聖なる予言」という本です。
実家で本の整理をしているときに、ふと気になって手に取ってしまいました。
山川夫妻翻訳の名著です。
20年も前に一度読んで、読んだ気になっていましたが、
いざ、「はい、何が書いてあったでしょう?」と聞かれても
「なんか、エネルギーの奪い合いの話で、小説仕立てだった」
という感想しか出てこない・・・
冒険小説7:哲学(オカルト)3
くらいの割合なのですが、哲学部分だけを拾うのが面倒になり
哲学部分の要点だけをまとめている動画を探して、
そちらを参考にしつつ、手元の本と合わせてまとめました。
意訳している箇所もあります。
人生の謎が少し解ける本の一つなので、おすすめします。
<参考にさせていただいた動画>
しっかりと無駄なくまとまっていました。ありがとうございます。
聖なる予言
●第一の知恵 偶然の一致(シンクロニシティ)
当時(1990年前後)において、相手が自分の世界に住むことに期待し人は主導権争いをして、エゴの衝突が起こる。
硬くて重々しい日常の中に、突然、偶然の一致が起こることに気がつく。
日常の中に強烈で勇気がでるような一瞬を味わい、
何か背後に大きな力があるのではないかと思い始める。
●第二の知恵 歴史的視点を持つ
宗教や権力者が作った常識に囚われていることに気がつく(覚醒する)
本来の生まれてきた目的や希望を忘れ、忙殺されて生活に埋没してしまっている状況から自己を解放する。
シンクロニシティを日々見つけ、重なりあった別の世界に身を置いていることに気がつく。
●第三の知恵 エネルギー
・アインシュタインの相対性理論
→物質自体にエネルギーがある
・量子力学
→人の意識が物質へ影響を及ぼす
(※二重スリット実験などで証明されています。観察することで物質化する)
人が愛情をかけて育てた植物はそうではない植物よりも
早く成長し、ビタミンやアミノ酸も豊富
→人の思考から流れたエネルギーが植物に流れている
●第四の知恵 エネルギー闘争
二人の人間が接触すると、片方から片方へエネルギーが流れる。
一方は力を得たような状態になる
もう一方は、力を失った状態になる
このため、人は慢性的にエネルギー不足に陥り、
相手を操って、エネルギーを奪い取ろうとする。
→第一の知恵に記述した、「主導権争い」「エゴの衝突」
この闘争に気がつき、この争いを超越すると他のエネルギー源につながることができる。
<考察1>
エバジーヴァンパイア、マウントという言葉が浸透し始めたのは
この10年くらいではないでしょうか?
おそらく多くの人が、支配されることで、エネルギーを奪われることに気がついたからこそ
このような言葉が一般的になったのではないかと思います。
マウントも同じで、不愉快な気分になる=エネルギーが奪われているということになるのではないでしょうか?
「自慢」≒「マウント」なので、
「自慢高慢、馬鹿のうち」など「自慢」自体を自重するような諺がありますね。
<考察2>
私は、空海上人を時々を想います。
なぜならば、私が慢性的なエネルギー不足だからです。
空海上人は、インドへ渡り、2年で密教をマスターしてしまいます。
そして、四国に結界を張って、高野山を開きます。
治水事業、布教、弟子の教育、執筆、中国語やサンスクリット語での翻訳編集、書家、詩人
とてつもないエネルギーだと思うからです。
そのエネルギー源は、何なのだろう?とよく考えてきました。
やはり、何か超越したところからエネルギーが送られてこないと
そんな大きな仕事はできないんじゃないかというのが私の推測です。
●第五の知恵 エネルギー源
・食べ物からエネルギーを摂る
→食べ物に感謝する
→エネルギーが満ちると、感謝の念や周りに対する愛情が湧く
→普段食べている食べ物のエネルギーを十分受け取れていない。
・普通の人は誰も無意識のうちに相手をコントロールしてエネルギーを奪う行為をしている。この行動に気がつき、やめない限り大いなるエネルギーからエネルギーが流れてくることはない。
<考察>
ヴィヴァッサナー瞑想でも「食べながら瞑想」が挙げられていました。
苫米地先生の著書に「食べながら瞑想」を推奨していて、2週間続けると
人生が劇的に変わると述べられていましたが、瞑想しながら食事を摂ることで
真にエネルギーがチャージされるからなのかもしれません。
終わりに
第6の知恵以降がとっても面白いので、ぜひ続きも読んでください!
<つづき>
<哲学エッセイ>