宗教巡り -1-
私が学生の頃、宗教と縁がありました。
私の友人は、イスラム教のモスクに興味があり、シルクロードを一緒に旅したこともありました。イスラム教の礼拝に参加することもありました。
別の友達とは一緒にインドへ行き、ヒンドゥー教のお祭りに参加したり、寺院の祈りの場に混ぜてもらったりもしました。
学生の頃は海外旅行する友人が多かったので、世界各国のお土産を頂戴する機会が多く、マザーテレサのポスターの横にはエジプトの神様の絵画、インドのヒンズー教の細密画、イスラム教のお皿、仏像のタペストリーなどが壁一面に飾られていました。
さらに、原付バイクにもガネーシャというインドの神様のステッカーが貼ってありました。
私の学生時代の親しい友達の一人は、キリスト教の洗礼を受けており、その恋人はイスラム教徒で宗教がらみの悩みを聞くこともありました。
社会人になって超多忙で徹夜も多く気がつけば精神を病んでしまっていたら、職場の人に新興宗教に勧誘されて、信仰の場にタスキをぶら下げられて参加させられたこともありました。1ヶ月くらいで目が覚めて、タスキ等は正月のお焚き上げで近所の神社にお納めしました。
哲学書から心理学から文学から最新の量子力学やらを広く浅く聞きかじって、
最終的に一番心に響いた思想というか文学は、歎異抄という親鸞聖人の口伝です。
一時期京都に住んでいた時に、最寄りのお寺が西本願寺でした。
心を落ち着かせたい時に割と頻繁に訪れて、本堂でぼんやりとしていました。
その時に「ここは、親鸞聖人を宗祖としているのだなあ」と思って何か不思議な縁を感じました。
そして、ずいぶん経ってから、祖父の家の片付けに行くと、仏間に写真が飾られていて、
めちゃくちゃ見慣れた写真だなと思ったら西本願寺の写真だったのです。
私の母方、父方どちらも、浄土真宗西本願寺派の檀家だったのでした。
で、ようやく本題に入ります。
私は汎神論者で、超現実主義者でもあり神秘主義者でもあるのですが、神様、仏様って高次元の存在で、確かに実在していて、この物質世界の自分に影響を与えていると強く確信しています。
なので、人それぞれ、イエス様に縁がある人、お釈迦様に縁のある人などがいるのだろうな、と思っており、
自分は、親鸞様や阿弥陀様に縁があると信じることにしています。
何かあった時は親鸞聖人が推奨する「南無阿弥陀仏」を心の中で唱えています。
(この一心に唱えるというのは、最近のマインドフルネス的にもかなり効果があるとされているようです)
あと、もう1点、なんやかんやで宗教や思想やらを色々くるくるめぐって結局実家の宗教っていうのは青い鳥の寓話みたいだなと思った訳です。