善悪の彼岸 -1-

20代の頃、少しの悪事(今となっては大した悪事とも言えない、少し他人を傷つけたなどの行為)に対しても、自分を責めるようなことが多かった思い出があります。
自分の基準で悪いことと判断される行為に抵抗があり、他人のために自分を犠牲にするようなところがあったのです。


しかし、年齢を重ねて多分本の影響(嫌われる勇気など)で、自分を犠牲にすることも悪であるように思って、少し、中庸になった気がします。
そもそも根底にあるのが、輪廻の輪の考え方で、「悪事を働き死んだ人間の魂は、またその人間の形が形成されたその時間まで引き戻され、何度も何度も同じレベルの人生を繰り返させられる。」
という考えをどこで聞いたのか分からないまま信じているからだと思われます。
なので、20代の頃とは善悪の基準が変わっただけで、善く生きようという考え方は変わっていません。


輪廻の考えは、誰に教わったか不明なのですが、小学一年生の頃には本気で信じていて、親に算数を教わっている最中に
「こんな簡単なことも分からないなら、死んでしまいなさい」
と言われると、私はすっと立ち上がって、台所へ行き、包丁を取り出し、自分の腹に突き刺そうとしましたが、一瞬「痛そうだな」とためらった隙に母親に包丁を取り上げられたのです。
私は、その時、「こんな親のところは嫌だから別の家に生まれ変わろう」と思ったのです。その日の晩に父親に「生まれ変わりなんかないで」と教わり、家族中、誰がそんなこと教えたのかと不思議がっていました。


そして、今も、もう生まれ変わることがないように善く生きようと思っているのですが、なかなか・・・

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