「四次元を見つけてしまったYO!」

はじめに

ご無沙汰しております。


今回ご紹介するのは
これも有名な「四次元を見つけてしまったYO!」です。


7世紀のインドの数学者がゼロを定義しました。
それまではゼロという概念はあったかもしれませんが、社会一般として通念化されていなかったということでしょうか。


YOさんは、「ゼロがあるから世界がおかしくなった」というような主張をしています。
その真意とは?



四次元が見つかったYO!


おい!おまいら!

とうとう、四次元を見つけてしまったYO!

解ってしまったYO!

ただ、言葉で説明できんのだYO!!!


一番近い表現は、0か1どちらかというと

1だったんだYO!。0があるから解らなかったんだYO!


俺はよくわからんけど、0と1の世界で

1だけで表現できるならば、それで良いんだYO!

1だけ!

他はない!!

具体的なやりかたがわからんけど、0があることが

3次元下に押し込める元!


さっきまで普通だったのに、これについて書くと

幼稚園脳になる感覚になるYO!!。


子供のころ、空を見上げると、星ではなく月の表面のようなものを見たはずです。

4次元とはそういうもので、時間とかは関係なく

存在するが、過去のだれかにより0が存在したときから

オカルト扱いになっただけです。

まず、4次元が在ることを思い出すと、正直今まで誰の陰謀で、だまされて

生きている気になってきます。

映画マトリクスに近い感覚でしょうか。

もしかすると、あえて0をつくり思考の進化を緩慢にしたのかもしれませんが

1だけの表現というか、在るものを無いと言う概念で立体?にしたこともわかりません


1歳ぐらいと思う。誰でも見えていた、不思議なものとは思わず、ただ見えていたはず。

なのに、何故か記憶から消えていくのは??? そうしないと何かがマズいのかもしれない。

閃き?のような感じかもしれんが、思い出しました。

もともと在ったのに、無いように変換されていたのでしょうかね。脳?。

パラレルワールドってのは別の世界って気がして、

4次元とは別の気がする、

なぜかって、別のものなんかじゃなく、同じではないが、もとから、今でもある!



信じようと信じまいと

以下は、突然、深夜0時に「信じようと、信じまいと―」で始まる
良質な四行の短編を掲示板で発表していたロア(噂話)
中の一つで、「YOさんの予言!」と同じことを言っていたので、関連づけてみました。


信じようと、信じまいと―


エリコというイタリアの数学者が

0と1が等しいという証明をしたという


説明が終わり、友人がさっぱりわからず紙から目をあげると

エリコの姿は消えていた


再び紙に目をおろすと、今しがた書いた式も消えていた


考察


結論を述べると


ないというものはない


どこか別次元に存在している。
という一言に尽きそうな気がします。


私は、中学生の頃洋服選びでどちらの服にするか悩んでいた時
こんなことを考えました。


もし片方を選んだ場合は、これからの私の生活は全てこちらの洋服を着ている自分になる


それが、とてもすごいことだと思いました。


その一瞬の選択で、自分の未来の空間における洋服が全て選んだ服が占めることになるからです。


仮にTシャツとブラウスだった場合は、着る時の動作も変わってしまう。


Tシャツを選んだ場合は、ブラウスを来た少しガーリーな自分は消えて
ボーイッシュな自分が存在するという感じ。それを私はすごいことだ!


と思ったのです。


これがおそらくYOさんの言う1か0という私たちの一般的な考え方です。


でもYOさんは「それは違う」と言っているわけです。


Tシャツを着た世界の私も
ブラウスを着た世界の私も


両方存在している


と言っていると思います。(間違ったと思った場合は、いつか記事を訂正します)


もしかしたら、私たちは、本来、自由自在に、
Tシャツを着た私がいる世界


ブラウスを着た私がいる世界

を行き来できるけど、そのやり方を忘れてしまっている
とYOさんは言っているのかもと思いました。


少し話が飛びますが、
異世界に友人数名と飛ばされた系の話で
時々目にするのが、


異世界に飛ばされた友人が戻ってこなかっただけでなく
皆の記憶からも消えていた。


というパターンです。


YOさんの話も、物心がつく前の私たちは誰でも四次元が見えていた


と主張しています。


そして四次元のことは記憶から消えてしまっているだけだと言っています。



<オカルト>

曼荼羅と道切りの民(後編)

はじめに

頭の整理がなかなかできなかったのと、
猫の手術の付き添いのため前回の記事から
時間がかかってしまいました。すみません。


前回の続きです。






八角形の頂点は「転」中央を「柱」と言う

八角形は「隔世」を表している

八角形がいくつも重なってこの世界が存在する


この世は「隔世」の影であり、真実と心理はそこにある

「柱」という映写機から壁に映像が映し出され

「転」という穴から映像が投影されている

それが「世」である

光源である「柱」も一つではない


「隔世」とは「あの世」とか「桃源郷」とも呼ばれ「この世」でもある

「隔世」ごとに「理」が異なっていて、時間の流れが違う


この世は「隔世」の影であり、真実と心理はそこにある


この世界とは

上の八角形の図を見てください。


八角形の中央が「柱」であり、映写機の役割を果たしている。

八角形の頂点が「転」であり、映像が投影されている。

私は、上記の八角形を見ていたら、
ふと、変なことを考えてしまいました。


以下は、私が今思っていることで確信がないので、エンターテイメントとして
読んでください。


<考察>
私たちが暮らす世界は、八角形を八等分した三角形の一つ
それぞれの三角形は別の世界、つまり異世界


三角形はそれぞれ隣の三角形と辺を共有している


その三角形の辺をを通り抜けたら、異世界へ通じてしまう


異世界へ通じる道は世界の至る所にあり、
昔は、しめ縄や神社などで結界を張って「道切り」をしていた


人間の目が張り巡らされている町や日常では
異世界の入り口がほぼ存在しないが、
人の目が届かない山などでは、今も異世界へ通じやすい(ような気がしています)


曼荼羅と道切りの八角形の類似点

胎蔵界曼荼羅は中央に「大日如来」がいて
周りに八の「菩薩」様や「如来」様たちが囲っています。


柱となる「大日如来」から八つの世界(隔世)に投影していると
捉えられませんか?


胎蔵界曼荼羅


金剛界曼荼羅も道切りの八角形との共通点を感じませんか?

金剛界曼荼羅


よーさんの予言との関連

以前、私は「よーさんの予言」で「世界は3つ」という記事を掲載しました。


二つはある人たちにより混ぜられ一つになっているが、それが元の二つに戻ろうとしてる


「よーさんの予言」では、「世界は3つ」なのだけれど、
現在は一つに混ぜられて、今二つに分かれようとしていて
さらに、それが三つになろうとしている


というような話でした。



<考察>

仮に、私達が暮らす世界を八角形のうちの三角形の一つとしますとします。
「よーさんの予言」世界は3つは
映写機から映し出される映像ととれませんか?
本来「転」は2つあるので、2つだったのが、一つに混ぜられているのは
同じ映像だからなのか、一つを止められているのか?そういったところ


世界が3つというのはから大日如来のパワーある世界(理想の世界)が
投影されているはずというふうに今回考察してみました。


転と柱から投影される世界がまだぼんやりしていますが、
なんとなくこんなイメージです。
この世界の投影する映写機が実質3つあるっていうことなのかな?
と仮説を立てているのですが・・・


転から映し出されるのは、かりそめ的な世界で
柱から映し出されている世界が本来の世界みたいな


引き続き、考察を続けていきます。

曼荼羅と道切りの民(前編)

はじめに

昔、しりあがり寿さん作の「弥次喜多in deep」という漫画を読んでいた時、
目の前に時空の穴ができて、赤牛が出てくるというような場面があったような記憶があり、
私はこの場面がとても好きでした。


私はサウナに入っている時に、暑さでなんだか、時空の穴が空きそうと勝手な妄想をしたことがあります。サウナでなくても、時々、目の前に時空の穴が現れないかな?と空を見つめたりすることもあります。


何が言いたいかと言うと、時空の穴がきちんと閉じられているので、
現実世界は、現実世界であり、安定している(≒味気ない)ということです。


つまり、きちんと穴が閉じられているので、そう簡単には時空の穴は開かないし、異世界へもいけないということ。


今回ご紹介する動画は「道切りの民」の末裔というMさんの体験談をまとめた話です。
異世界とこの世界の穴を塞ぐとされている「道切りの民」の正体とは?


時空の穴

5年ほど前からNetflixなどでも「異世界もの」の作品が上位にランキングさて、流行っていることには気がついていました。


なぜだろう?
・転生したらスライムになってみたり
・おじさんが美少年の魔法使いになってみたり


日本人が幼稚になっているからなのだろうか?
30年近く続く不況で現実世界が嫌になって異世界への転生願望が高まっているからなのか?
そんなふうに単純に思っていました。


ある時、「時空のおっさん」なる有名な都市伝説を知りました。
日本各地で、異世界に紛れ込んだ人たちが、実際に体験した話として
2ch掲示板に書き込んでいたのです。
(最初の書き込みは2005年頃だったと聞いたような気がします)


投稿者達は、エレベータに乗った時、眠りから覚めた時、山道を歩いている時、トンネルの中、電車に乗っている時、街角、入院中、さまざまなシチュエーションで、突如として異世界に紛れ込んでしまいます。


異世界の話には数種類あって
①今いる現実と同じ街並みだけれども、人がいない
②今いる現実と同じで、自分はみんなのことが見えるのに、みんなから自分が見えない
③歴史背景・事実がことなるパラレルワールド
④日本語は通じるけど文字が読めないパラレルワールド
⑤空が赤い、季節が違う、時代が違う
etc・・・


「時空のおじさん」が出てくるのは、人のいない世界です。


異界に紛れ込んだ人が途方に暮れていると、作業着を来た中年男性が
怒りながら近づいてきて、携帯電話で何か会話すると
紛れ込んだ人を元の世界に戻してくれるという内容です。


どの話もだいたいこのような感じの流れです。


そして、異世界からこちらの世界へ戻してくれる作業服を着た中年男性を
都市伝説界隈では「時空のおっさん」と呼ぶようになったようです。


この手の話は、昔から大勢の人が体験していたと思いますが、
信じてもらえなかったり、又聞きになって消えてしまったり、なかなか記録として残らなかったのかもしれません。


「異世界もの」「時空のおっさん」についても、
作り話を同時多発的に色々な人がしているだけの可能性はありますが、
奇妙な共通点があるので、一括りに嘘で片付けるのはもったいないような気がします。


個人的には、時空の穴はどこにでも空いていると思っているので、
その解けた結び目から異世界へ入ってしまったのかもしれないと思っています。


道切りの民

●要約

Mさんが横断歩道を渡っていると突然「空気のカーテン」をくぐったような変な感覚を感じた。すると、そこは人のいない世界で、夜空が赤黒かった。
そして、「時空のおっさん」がMさんの方へ走って近づいてきたので横断歩道を来た道のほうへ戻ると、元の世界に戻った。


それから10日ほどしたある日、いつもの角を曲がった瞬間、視界が青紫っぽい色に変わった。目の前の看板の文字がカタカナを上下逆さにした文字に変わっていた。
Mさんは、元来た道を戻ろうとすると前方に「時空のおっさん」がいた。


すると「時空のおっさん」は「もう来たらだめだ、次きたらしょ・・・」
とMさんに言った。その瞬間、高速のエレベーターに乗ったようなグラっとした感覚に襲われてきがついたたら、自分の家の前にいた。


Mさんは「時空のおっさん」は「次きたらしょ・・・」
が「次は処分される」だと思った。


この出来事をMさんが母と祖母にすると
「あんたも幽玄の血を引いたんかい」と言われた。
「幽玄の人」というのは、こちらとあちらの血を引く人のこと


祖母はこんな話も教えてくれた


この世界は四角ではなく三角であり、1番目と4番目は同じ場所にある。

そして、心配になった母がおじさんに連絡をした。
おじさんも「幽玄の血」を引いており、「道切り民」の能力を持っている。


道切りの「道」とは「この世」と「隔世」をつなぐ道


知らない人が「隔世」に入らないように道を閉ざす者達を

「道切りの民」と呼ぶ


道はこちらとあちらの両側を閉じないと再び開いてしまう


また、「道切りの民」は「徐福」でもある

おじさんは、こちらがわから道を閉じている

「隔世」と「異世界」は正確には少し違う

Mさんは、それからおじさんに色々と教えてもらった。
そのとき、以下のような画像を送ってもらった。




八角形の頂点は「転」中央を「柱」と言う

八角形は「隔世」を表している

八角形がいくつも重なってこの世界が存在する


この世は「隔世」の影であり、真実と心理はそこにある


「柱」という映写機から壁に映像が映し出され

「転」という穴から映像が投影されている

それが「世」である

光源である「柱」も一つではない


「隔世」とは「あの世」とか「桃源郷」とも呼ばれ「この世」でもある

「隔世」ごとに「理」が異なっていて、時間の流れが違う


この世は「隔世」の影であり、真実と心理はそこにある


この世界は四角ではなく三角であり、1番目と4番目は同じ場所にある

とは、三角形が集まった八角形のこと

※ある三角形の4番目ととなりの三角形の1番目と重なっている?

「時空のおっさん」とは、知らない人が「隔世」に入らないように道をあちら側から道を閉ざす人


あちら側から道を閉ざす=「時空のおっさん」
こちら側から道を閉ざす=「道切りの民」=「幽玄の人」


続き


<オカルト>