アーリマンの「誤謬」とは

はじめに


私は、以前アーリマンについて言及したことがあります。
アーリマンとは、人間にちょっかいをかけてくる悪魔とされています。


よく聞くパラドックスに
神様が存在するならば、なぜこの世の中には、不幸なこと、残忍なことに溢れているのか?
という問いがりますが、神智学におけるその回答の一つがアーリマンによる作用とされているようです



①アーリマン

【作用】

人間を感覚的な世界に留まらせて、物事の表面しか捉えさせず

悪や誤謬に陥らせる


【高次の神々の反作用】

人間が、感覚的なものから生じる誤謬や幻影の中に陥らないようにするために高次の神々は、カルマを担い、それを作用する可能性を与えた


②ルシファー

【作用】

人類に自らの判断で「善」「悪」を選択できる判断能力をもたらせた

一方で、地上特有の欲望、情熱、渇望を抱く傾向を与えた。


【高次の神々の反作用】

結果として、高次の神々は、人類に「病気」「苦しみ」を与えることで、
人類が地上の生活に堕落してしまわないように調整を行なった。

   ※今回、ルシファーについては言及しませんが、また言いたいことがあるので
   別記事で・・・

アーリマンの誤謬


あなたは、上記のアーリマンの作用「誤謬に陥らせる
を読んで、ナチュラルに理解しますか?


多分「ふーん」とか「へー」とか「あっそう」で終わってしまいませんか?
(流し読みしたら10分後には忘れそう・・・)


私もそうでした。誤謬に陥らせると言われてもいまいちピンときません。


仮に


【作用】

人間を感覚的な世界に留まらせて、物事の表面しか捉えさせず

悪や誤謬に陥らせる

ではなく

【作用(仮)】

人間の怒りや憎しみの感情を増幅させる


に書き変わっても、やっぱり「ふーん」という感じで流してしまいませんか?


むしろ、誤謬に陥らせるよりも、大きな悲劇を招きそうな気がして
しっくりくる人もいるのではないでしょうか?


なぜ「誤謬」なのか?


シュタイナーの本は、難解でなかなか読み進めることができないので
解説動画を見ています。


個人的に好きな動画は「抹茶ラテ」さんの動画です。



この動画の中で
アーリマンは、「誤謬」を釣り餌に、釣り糸を垂れていて引っかかった人間を
「大漁大漁」と釣り上げるようなイメージの
お話をされていたと記憶しています。


どういう意味か分かりますか?


アーリマンは、人を悪に陥らせことでポイントゲットするような感じなんです。


「人間を悪に陥らせる遊び」をしていると表現しても良いかもしれません。


この場合、先ほど述べた


①人間を誤謬に陥らせる


②憎しみや怒りを増幅させる


この2つだとどちらの方が効率よく人間を悪に陥らせることができるでしょうか?


修羅場

私は、2chの修羅場話を軽く一周したような気がします。
実体験として語られるその修羅場は、実際に起こったこと、創作や捏造や偏りが含まれているもの様々と思います。


しかし、共通した変遷があるように感じます。
従って、共通部分には何かしらの真実が含まれていると予想してみます。


【修羅場の原因になった人】
①幸福(偽装し欲望を優先させる) → ②修羅場(悪事がバレる) →③地獄


【修羅場に向き合って解決した人パターン】
①幸福(騙されている) → ②修羅場(正当な主張のもと戦う) →③日常


●幸福がそもそも「誤謬」であるケース

「あばたもえくぼ」「恋は盲目」=(イコール)

アーリマンによる「誤謬」


我に返った時に、配偶者がとんでもない「モンスター」だったことに気が付いた時


修羅場動画では


「気持ちがスーっと消えて」
「相手が醜いモンスターに見えて」
「自分の愛したあの人はもういないのだ」


と目が覚めて


「幸福」反転「修羅場」へ場面が移ります。


●間違った「信念」(誤謬)により破滅するケース


人生のコツとして「相手に期待しない」という話を聞くと思います。


人は、自分自身や相手に偶像(虚像)を作り上げてることが多々あります。


①母親とは無性&無限の愛情を子供に注ぐものである
 →最悪のケースでは
  愛情の欠乏感を慢性的に感じて、「境界性人格障害」になると思われます
  →外面のよい家族 - アルムシのブログ


※「境界性人格障害」は、親からの愛情の飢餓感を原因にしていると言われています。
身近な家族を観察していても、母親に注目されたい、褒められたい、認められたいという思いが根底にあるのを私は感じていました。
彼女は、爆発した時に「私は、褒められたことがない」と泣きながら訴えていたこともあるのです。


※「横田めぐみ」さんの両親を見ていると、親の愛は無限なのだと勘違いしてしまいそうになりますが、世の中、驚くほど親から子への愛情は枯渇しやすいようです。


②恋愛対象の相手を偶像化する
 →この場合は、一人の相手に縛られて人生をまともに生きれないということに陥ります
 恋愛対象の相手は、自分だけを一生愛し続けるべきである
 →束縛やストーカーなどの問題に発生します(一般論)


③自分という存在は、相手より上の立場であるため優遇されるべきである
 →【芸人:ラランドラジオ】お母さんヒス構文まとめ① - YouTube


④子供は自分の所有物であるため、自分の言いなりであるべきである
ex)自分(子供)は高学歴であるべきである/医者にならなくてはならない/弁護士にならなくてはならない
 →「子供を殺してくださいという親達」 - アルムシのブログ
  
⑤自分は痩せて美しくあるべきである
 →拒食症に陥ることがあります
  「骨と皮だけのガリガリが美しい」
   →「認知の歪み」が起こっています・・・(摂食障害と引き寄せの法則 -1-


これらの信念が裏切られた時に
人は鬼や悪魔のようになって、攻撃、破壊をしてくることがあります。


まとめ

どうでしょうか?
アーリマンは、人間のあらゆる隙間に撒き餌をして
人間たちをアーリマンの支配する世界に引き込んで、「大漁大漁」と小躍りするそうです・・・


以前、「タガメ女」について言及したことがあります。


タガメ女とは、

・高収入男性を捕まえるため(玉の輿を狙って)に本性を隠して偽装する女性

さらに以前、「パレートの法則」で紹介したことがありますが、

人間には、テイカーといって関わらないほうが良い人が一定数存在します。
修羅場の多くがこの10%程度に属する悪人が発端のような気がします。


そもそも、この10%正しく見定めていたら大半の修羅場は起こらないのです。


こうやってみると、
この「誤謬」というのが、いかに効率よく悲劇をもたらすかということが分かります。
アーリマン自体は「誤謬」を撒き餌にしているだけで、
人間が自ずから不幸や地獄に陥っていくだけなので、省エネなのかもしれません。


冒頭に述べたように全て「期待しない(偶像を作らない)」というふうな考えが
身についていたら、「誤謬」という撒き餌に食いつく可能性はぐっと下がるのかもしれません


途中で私が問いかけた


「誤謬」ではなく
仮に「人間の怒りや憎しみの感情を増幅させる」ではダメなのか?


という問いに対する答えは、
「誤謬」を与えたほうが断然効率よく人を不幸に陥らせることができるため
「誤謬」を与えるという手段をとっている


と推測されます。


そう考えると仏教の「八正道」がいかに理にかなっているか分かります


1.正見(正しい見解)、2.正思惟(正しい考え方)、3.正語(正しい言葉)、4.正業(正しい行動)、5.正命(正しい仕事)、6.正精進(正しい努力)、7.正念(正しい気づき)、8.正定(正しい精神統一)


私も、日々の生活の中で、自分の中の「誤謬」に気がつき、それを引き剥がすという作業をしていますが、めくってもめくってもまだ「誤謬」が私に絡み付いているようにおもいます。まだまだ、修行が必要です・・・


<シュタイナー>


引き寄せの法則(仏教編)

はじめに


私はこれまで何度か「引き寄せの法則」について言及してきました。
(タグで検索していただくといくつか過去記事が表示されるかと思います。)


最近、ふと自分の中で結論がでたような気がするので、少しお話してみたいと思います。


仏教で勉強したこととシュタイナーの神智学の知識も少し混ぜ込んでいます。


引き寄せの法則フェーズ①


「引き寄せの法則」を初めて知ったのは、10年ほど前のこと。
「ザ・シークレット」という本を手に取りました。
しかし、胡散臭さを感じたのと、楽して欲しいものを手に入れるというふうに読み取ってしまい、その時は本を軽く読み流してすぐに処分してしまいました。


それから、数年後、中島義道さんという哲学者の本を読みました。


99%の人の夢が破れて、無力感と八方塞がりの閉塞感だけが残った


というような内容だっと思います。


美大受験、画家、デザイナー、プロ野球選手、女優、歌手、作家


確かにほとんどの人の夢が無惨に散っているように思えます。


その本を読んだ時、「引き寄せの法則」を一瞬たりとも信じた自分を恥じました。

「引き寄せの法則」発動について

●前提

人間は


超意識(ハイヤーセルフ)>潜在意識>顕在意識
?次元→10次元→・・・5次元⇨4次元→3次元


のように、高次元の自分から一つしたの次元の自分という風に伝言ゲームのように
下位の次元の自分に投影していきます。


(三次元の肉体を持った私の顕在意識も正確に言えば、
 玉ねぎのようにいくつもの層になっている。と私は感じています。)


少し話がそれますが、
潜在意識領域は、集合的無意識と重なっていると思われ、
ここで様々な醜く凶悪な魔物が生まれて、私たちの潜在意識を汚染して顕在意識を
悪に染めてしまうのだと考えています。


ハイヤーセルフの意思を正しく顕在意識につたえるためには、
感情領域をクリアにするのが重要なのかなと考えています。


●「引き寄せの法則」発動法則①

引き寄せの法則というのも、「なんでも願い事が叶う魔法の法則」というのではなくて
自分の超意識の欲求と顕在意識の欲求が重なった時に発生する共振のような現象なのではないか?というのがまず1点


なので、集合的無意識領域から受け取った、欲望
「金持ちになりたい」
「贅沢したい」
「ちやほやされたい」
などは、そもそも超意識(ハイヤーセルフ)の欲望ではないので、叶いません


超意識からくる引き寄せの法則発動は、以下のようなイメージです


(例)
・家族との時間を大切にしたいので、フリーランスで働く
 →不思議な縁が連なり、事業がうまくいくケース


・動物保護団体を立ち上げる時
 →15年構想を練って、今だと思って行動を起こすと
  空き家物件、DIYを協力してくれる人などが現れる


●「引き寄せの法則」発動法則②


とはいえ、以前紹介した「アラヤ識」で述べたことがありますが、


・強烈に望んだもの


・強烈に恐れたもの


に感情が伴った場合、それが念となってアラヤ織に入る。

アラヤ織に入ったものは、未来に必ず現実化する

という法則。


私も体験があります。


私の場合は、どうしてもじゃんけんで負けたいと焦りながら、強烈に望みましたが
勝ってしまったというもの。
→この場合は、強烈に恐れたから発動されてしまったということになります。


とすると先ほど「引き寄せの法則」発動法則①で述べたように
10次元の超意識がじゃんけんに勝つとか負けるとかに関与するだろうか?


という疑問が湧いてきます。


そもそも「アラヤ織」とはなんでしょうか?


・阿頼耶識(あらやしき)・・・第八識、その場に一切諸法を生ずる種子を内蔵していることから「蔵識」とも訳される


・末那識(まなしき)・・・第七識、阿頼耶識(あらやしき)を所縁(=対象)とする識である


・意識は眼識・耳識・鼻識・舌識・身識を統制する心であり、末那識は執着する心、阿頼耶識は普段意識されることのない識


                                   ※参考


ここで私が考えたことは


11次元以上・・・超意識(ハイヤーセルフ)


10次元の私


9次元の私


8次元の私


7次元の私


6次元の私


5次元の私・・・第八識、阿頼耶識(あらやしき)


4次元の私・・・感情を司る、第七識、末那識(まなしき)、執着する心などを含む
       (聡明でない、クリアではないと解釈します)
        ※集合的無意識の影響を受けるのではないか?悪に染まりやすい?


3次元の私・・・眼識・耳識・鼻識・舌識・身識
        顕在意識、普段、自分が思っていることを意識できる領域


それぞれの次元の私は、顕在意識からの欲求を受け取りそれぞれ「引き寄せの法則」を発動できる力があるのではないか?
ということです。


なので、5次元の阿頼耶識(あらやしき)は、感情を司る末那識(まなしき)
からの伝言を受け取って、それを具現化させている。


とは考えられないでしょうか?


高次元の私→→→→5次元の私→4次元の私→3次元の私
は相似の関係と思われます。
なので、真の「引き寄せの法則」は最高位の私(ハイヤーセルフ)が欲する「引き寄せの法則」です。


従って、「3次元の私(顕在意識)」起因で「阿頼耶識」の起こすノイズが入る感情主体の「引き寄せの法則」で欲望を叶えることもあるかもしれません。


しかし、この世界には「正負の法則」が存在するので、
不当に利益を得ても、なんか結局うまくいかないという気もします。


余談

私は、この数ヶ月間、コミュニティ活動をしようと頑張ってみました。
そういうこともあって、ブログを2ヶ月ほどサボっていました。


定期的に私は普通に生きようと思って、無謀にもワイワイと
人の群れに突入してしまう癖があります。


しかし、人との関わりで気が紛れますが、疲れることの方が多くて
日常に雑念が湧き、雑念が沸くこと自体に怒り、結局、離脱する


という行動を繰り返してしまいます。


まさに、ハリネズミ(山嵐)です・・・
(ヤマアラシのジレンマって知ってるカナ?)


過去の失敗を
「あの時の自分は未熟だったからだな」
と思い込んで、同じ過ちを繰り返してしまいます。


徒労だけが残ります。


精神衛生上よさそうなたくさんのことを実践しました。
(超意識の本願を受け取りやすくするためです)
サプリメントや入浴剤や温泉
エッセンシャルオイル、CBDオイル、フラワーエッセンス・・・
最近は手当たり次第に仏閣寺院へ参拝に行って、心身調子よかったのですが・・・


ある日、突然落ちる感覚があって、調子が悪くなりました。


そして、以前もこんなことがあったなと思い出しました。
それは、ブログを長く休んだ時です。
試しにブログを書いてみると、嘘のように元に戻りました。


なんか、不思議ですね。


高次元の私が、何かを書くことを私に課しているような気がするということです。
このブログほとんど誰も読んでいないですが、自分の書くことの鍛錬だと思って、またブログの記事を定期的に更新しようと思いました。


数年前、小説を書かねばと思っていた時に
「とは言っても、仕事が忙しいし、資格の勉強もあるし時間がないから無理だ」
と強く感情を伴って思ったんです。
そうしたら、コロナ禍で在宅勤務になって、時間がたくさんできたので
これも引き寄せの法則といえば引き寄せの法則かもしれません。


それなのに、小説どころかブログもかかず、
うつつを抜かしてしまいました。
だから体調不良になったのかなと思い当たりました・・・


<オカルト>

同じ鋳型でできた人

はじめに


明けましておめでとうございます。
久々のブログ更新です。


何度か記事で書きましたが、
私は就職氷河期に就職し、大手IT企業の子会社に就職しました。
従って、プロジェクト単位で親会社へ派遣され、大勢の人達に出会いました。
そして転職も何度もして今は4社目でもうすぐ5社目に突入予定です。


社会人になりたての頃は、IT知識ゼロだったので
生存戦略としてフレンドリーという技で厳しい世界を生き抜きました。


飲み会もたくさん顔を出しました。
腹が捩れるほど笑うよい飲み会が大部分でした。


そのため、多くの人と仲良くなりました。
徹夜や終電までのプロジェクトも多かったので、
今のように36協定内のホワイトな職場では見られないような
無法地帯のような職場で極限状態の人々の様々な顔を垣間見ることができました。


つまり、私は


非常にたくさんの人数の人の上っ面でない、少し砕けた本音に近い面に接する機会が
多かったのです。


気づき


ここで私はあることに気がつきます。


例1)
社会人1年目(1社目)で出会った上司のAさんは、
社会人6年目(2社目)で出会った、同じチーム内のBさん
社会人16年目(4社目)で出会った、同じグループのCさん


と表情の作り方と体型、仕草や特徴が似ているということに気がつきました。


三人とも、理数系の知能が高くて、考え込む時に顎を引いて上目遣いをする。
ふとした時のリアクションが両腕を広げて手をバタバタさせる。


など。


Aさん<Bさん<Cさん
の順に人格も上がっているように思いました。


ちなみに、Aさんは、会社で嫌われてクビ同然で放り出されてしまいました・・・


例2)
近所に住んでいた2つ年下の女の子Dそっくりの人Eが
社会人10年目(3社目)の隣の席にいたこともあります。


例3)
高校時代の同じ部活の友人Fは、控えめで優しくて人気者でした。
高校を卒業してから、時々私から連絡して会っていましたが、
いつも誘うのは自分ばかりなので、連絡しないとどうなるのだろうと放置すると
疎遠になりました。
その10年後、知人に誘われた花見でGさんと仲良くなりました。
この人は友人Fと同じ鋳型だ。私は直感的にそう思いました。
この友人Fさんとは、こんどはこちらから、連絡を断ちました。
このあたりもなんとなく因縁めいたものを感じます。


例4)
中学時代のK君は、陸上部のエースでした。
一年後輩で、何度も同じ大会に参加して、練習も同じなので細かい仕草や雰囲気を十分知っています。最近、顔を出した登山の会に立派な体格のLさんがいました。
まず、一流アスリートのような体格が一致しており、顔と髪型と話し方、無害な会話などが本当にそっくりでした。


例5)
10年前仕事で大きなプロジェクトにメンバーとして参画していた時、社外コンサルタントのMさんがいました。この人は、非常に頭がよかったです。この人とオードリーの若林さんがそっくりでした。背丈、髪型、笑顔、頭が良いところ、会話など・・・


鋳型とは

鋳型とは「ソフィーの世界」(90年代後期発行の庶民向けの哲学書)で出てきたように思います。
記憶が薄れているので、正しく自分が捉えられいるか不明ですが、
自分の言葉で語ってみたいと思います。


この目に見える三次元の世界というのは、イデアの世界の鋳型を投影したものだ


鋳型とは、わかりやすく言えば、クッキーの型のようなものです。
均一に変形する物質
(クッキーを作る時は、小麦粉生地ですが、人間を作る時は、霊魂のようなものでしょうか?)
を流し込んで、製品を作るようなイメージです。
(リンゴも犬も猫も人間もあらゆる実体は、鋳型としてイデアに存在していて、その鋳型から現実世界に投影していると言っています)


あらゆる宗教で触れられているワンネス(神様)という一つの意識からの分霊が自分であるという考え方があります。


イデアの世界(高次元)に私達の本体があり、私たちはワンネスのコピーを鋳型として
3次元に投影されています。
鋳型から3次元へ投影された肉体こそ私たち。


従って、同じ鋳型のコピー人間がこの世界に複数存在しても全く不思議はないというわけです。


同じ鋳型でも、生まれる年月、地域、両親から受け継ぐDNAなどで
微妙に差異が発生すると思われますが、それでも同じ鋳型のような気がする


と思われる人に時々遭遇するのです。


余談ですが、こう考えると、星座占い、四柱推命、姓名判断なども
鋳型へ彩りを与える要素を占うと考えると、ますます興味深いですね。


前世の記憶

同じ鋳型の人物が複数いるという仮説に従えば、


マリーアントワネットの生まれ変わり何人いるのか問題も解決すると思いませんか?


※「前世がマリーアントワネット」「前世が太宰治」「前世が織田信長」という人が
 日本だけでもたくさんいると笑い話として語られる場面に時々遭遇します


鋳型(霊魂)に対して、地上の人間は複数いるのですから
記憶は共有されると考えられます。
もちろん、誇大妄想がほとんどと思いますが・・・


友人のそっくりさん

私は、昨年からとあるボランティアを始めました。
その代表のXさんが私の学生時代に仲の良かった友人Yと
同一人物としか思えないほどそっくりなんです。


友人Yとは、私が一方的に怒って会わなくなりましたが、
本当はとても大好きだったんです。
会いたいなあと思ったことも何度もありました。


たまに、いますよね。本当は仲直りしたいのに、意地でも仲直りしない人って。
意地>快楽 なのだと思います。ようは頑固なんです。


友人Yは、悪気なく私に当時私が一番してほしくなかったことをしました。
私は怒って一方的に疎遠にしました。
今思えば自分が幼稚だったと思います。


そんなYにXさんは、まず顔がそっくり、髪型も服装もYの20年後そのものです。
喋り方も、話す内容も、涙もろいところも、Yそのものなんです。


この現実世界(現代社会)は、無味乾燥なことが多いですが、
時々、神秘的な側面を私たちに見せて、この世界も悪くない、なかなか味わい深い


そんなふうに思わせてくれる瞬間があるのだと思いました。


<オカルト>