野村克也さんの名言と世界線

野村克也さん

野村克也さんのことは、どちらかと言えば好意的に見ていた程度でよく知りませんでした。


私が生きる上で、「シンクロニシティ」が発動された時は
周りと注意深く観察し、耳を澄ますという癖のようなものがあります。


この時、起こった「シンクロニシティ」は、
以前、紹介した「走れトカトントン」で
「不治には月見草がよく似合う」という箇所を読んでいる時に


テレビから、
「王や長嶋はヒマワリ、俺は月見草
という言葉が聞こえてきました。


月見草」というワードを、何年ぶりかぶりに耳で実際に聞いたタイミングが
私の愛読書となる「走れトカトントン」の「不治には月見草がよく似合う」
とシンクロしたのです。


それは、野村克也さんの訃報でした。
私は、テレビの画面に目を移しました。


追悼番組では「奇跡を起こす3つのポイント」が紹介されていました。


・初めてのことを何かやってみる。
・知らない人に話しかけてみる。
・古いものにしがみつかない。


私は、「知らない人に話しかける」という言葉が、なぜか強く心に残りました。


考察


私は、先日、パラレルワールドが重なって見えるのかもしれない
という記事を投稿しました。


ある時、とあるブロガーさんにコメントした時、
人は、それぞれ別のパラレルワールドに意識を置いているけれど、
会話した時だけ、お互いが身を置いているパラレルワールドが重なる


というようなお話をしてくださいました。
私は、知らない人に話かけるという野村監督の言葉を実践して
知らない人に話しかけてみたのです。


また、ある時、私は、意識的選択の話をしました。
惰性で(無意識に流されて)生きていると、
他人に巻き取られて、気がつけば人生が詰んでしまうので
意識的に生きたほうがよいらしいですよ。というような内容でした。



野村克也さんは、昭和の人で、オカルト的な話とは無縁そうですが、


「奇跡を起こす」と銘打って「知らない人に話しかけてみる」と提唱しています。


この「知らない人に話しかけてみる」というのも、「意識的な選択」と言えると思います。


私が「セル画」かもしれないと言った「重なり合う他のパラレルワールド」を
「話しかける」ことで、自分の世界へ統合している(かもしれない)のですから。


逆に言えば、話しかけなかったら、関わらなかったら、重なっていたパラレルワールドが
どんどん剥がれていって、全ての他人がただの風景になってしまうのかもしれません。


たまに、何を言っても、どんなに苦心しても話の通じない人がいませんか?
もしかしたら、どこか遠くの世界にいるからなのかもしれません・・・


<オカルト>

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