友情と世界線

「友達の終わり」という、魚喃 キリコさんの漫画をずいぶん昔に読みました。


友達の変化に対して、少しの違和感や不快感で、友達関係が終わってしまうというだけの話なのですが、当時、友人をとても大切にしていたので、なんだかすごく自分には共鳴するものがありました。


その時、かなりの頻度で互いの家を行き来する友人がいました。
すると、ある時、その友人が手を伸ばせば、届く距離にいるにもかかわらず、霞がかって消えそうに感じたことがあります。とても遠くの存在に感じたのです。
その時の笑顔が私の瞼に焼き付いているのですが、それでも映画のワンシーンのように同じ世界の人物ではなくて、映画のスクリーン上の人物に感じたのです。一番近い友人だったのに・・・
一生続く縁だと確信していただけに、不思議で仕方がありませんでした。
特にその時、不和があったわけではありません。
したがって、ただの気のせいと流していました。
夢の中で、行かないで行かないでとしっかりと掴んでも、目をさましたら、ああ夢だったのかという「もう二度と会えない人」の感覚でした。


しかし、その1年後、私が仕事の都合で転勤し、さらに1年後些細なことで絶縁してしまったのです。
絶縁後も、元に戻らないかという気持ちと、傷つけれたことに対する怒りが半々でしたが、すれ違いで結局縁が完全に切れてしまいました。



●近未来人の世界線(メモ)
2020年5月3日から来た未来人だけど質問ある
・時間は存在しない
・今しかない、過去も未来も他の世界線
・選択する度に新たな世界線ができる
・分岐により網の目状にこの瞬間も選択肢が広がっている
・結果(未来)のイメージで世界線を飛び、より良い世界線へ移動
・複数の世界線に自分は無限に存在するのか?
 →自分には唯一無二の固有IDが割り振られていて
  世界線に自分の固有IDが含まれている場合は、今いる世界線と固有IDにより
  世界線が結合され、別の世界に移動できる
  ただし、意識は一つの世界線にしか存在しない


まとめ

真の友達でいる最大の条件は、同じ世界線に意識を置いていることがいるということのような気がします。


自分は世界線Aにいるのに、友達が世界線Bにいる場合、世界線Aにいるその友達は、無意識で自動運転しているだけのただの抜け殻なのかもしれない・・・


友達だけでなく、ほとんどの人が実は別の世界線に存在している中世ヨーロッパのからくり人形オートマタなのかも。昔から、なぜかそんなふうに思うことがあります。


カラスの死骸はなぜ見つからないのか?


矢追純一氏の著書である。


「カラスの死骸を見たことがあるか?」と矢追純一氏は、読者に問いかける。
「確かに・・・」
私がこの本を読んだのは、学生の頃であった。
「町中でカラスは見かけ、かつ、カラスを捕食するような、動物は見当たらないのに、カラスの死骸はどこにも見当たらない。誰に聞いても、人生のうちで一度もみたことがないと言う人がほとんどである」
氏は続ける。
「カラスは死んだ後どうなるのか?それは、消えてしまうのである」
「ただし、交通事故や人間に飼われていたなど、人間を介した場合だけ、死骸として存在する」
矢追純一氏の主張は大筋、上記の内容と記憶している。
当時、この「人間を介した場合だけ」というのだけが、合点が行かなかったが、それ以外は概ねこの本に賛同していた。
そして、この本の話を、数年に渡って、複数の友人に熱弁したが、「はいはい」と流され私は変人扱いされて、だれもまともに取り合ってくれなかった。


しかし、それから時代は移り、量子力学についての知識を持つ人が増え、二重スリット実験も、「ひろゆき」動画で普通に説明されるほど、一般的にも浸透し始めた(?)
二重スリット実験は、人間が観察し認識することで、素粒子が物質化するという素粒子の不思議な振る舞い実証した実験である。量子力学の視点からも、カラスは寿命になると(カラスだけでなく、雀、鳩、ネズミなど全ての動物が該当)、人間の目を盗んで、消えてしまうことは矛盾がないのである。


つまり、矢追純一氏が言うように、「人間を介した場合だけ」野生動物は存在する。
さらに付け加えると、「観察者としての人間を介した場合のみ、世界は物質化する」と言えるのです。


これは、バーチャルリアリティのゲームを想像してもらうとわかるように、プレイヤーの周りの世界だけが画面に映っていると同じように、この世界は作られているとも言えるのです。テスラ・モーターズのイーロンマスクは、「この世界が仮想現実でない確率は十億分の一」と言っています。


あらゆる宗教、あらゆる天才が、この世界は「夢」だとか「幻」だとか「仮想現実」と結論付けます。


「カラスの死骸がなぜみつからないのか?」
この矢追純一氏の答えは、決して滑稽なんかではなく、核心を突いていると私は思うのです。


<オカルト>

【本要約】未来からの訪問者


2062年の未来人と2100年の未来人が、2016年の熊本地震の前日にある目的を果たすために2016年の熊本へ宇宙船によく似たタイムマシンでやってきていた。


未来から過去へタイムスリップする場合、自分たちが元いた世界線とは別の世界線に移動する。また、移動したい世界に都合よく移動するのは2100年をもってしても難しい。
(タイムトラベル等で過去へ戻る場合は、元いた世界線とは別の世界線へ移動するとのこと。タイムトラベルで過去へ戻った先で自分の親を殺したらどうなるか?というパラドックスは解決できている)
2062年時に、2016年の熊本地震が起こる世界線に狙いを定めてタイムスリップしたが、別の世界線に来たため、2100年の未来人が再度チャレンジした。
この際、2100年の未来人の過去生であるMさんをGPS代わりに利用し、Mさんをターゲットに世界線の移動を試みた。
Mさんは、2100年の未来人からのコンタクトを受け、睡眠時に金縛りにあって、幽体離脱を試みたところ宇宙船の中にいた。


2100年と2062年の未来人が、わざわざ、熊本地震をそれほど重要視する理由は
自然地震ではないため、その波動調整、磁場調整を行うためとのこと。


ここで、未来人がタイムトラベルで過去へ戻る場合は、元いた世界線とは異なる過去へ戻るので、地場調整をしても意味がないのではないか?という疑問が生まれる。


世界線は、人が選択を行う度に少しずつ異なる世界線に分かれていくが、
世界線は、一度分かれたら、分かれっぱなしというわけではなく、
分かれた世界線がまた統合される場合などもあるそう
そのため、未来人は、自分たちのいた世界線とは異なる世界線で良い影響を及ぼすことで
自分たちの世界線に統合され、良い影響を受けることができるという、計算しているのだろうとのこと。


超弦理論では10の500乗もの世界線が存在しているそう。近い世界線同志は影響を及ぼしたり、シフトして同化したりしてていると考えられる。
世界線の同化がマンデラエフェクトなのかもしれない。


著者がMさんへインタビューを行い、霊能者の意見を踏まえながら考察している
展開であったが、想像や妄想の類である可能性はあるが、ストーリーとして、矛盾なく面白い展開で、かつ真実かもしれないという含みまであるのでこういう本はロマンがあって私は好きです。


<オカルト>